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性格類型のマイナーな資料庫。中国語と英語。

【MBTI】外向/内向尺度――Description by 呉驥揚

中国には呉驥揚博士という米国MBTI認定ユーザーを称する方がおり、MBTIの解説を行っているチャンネルが見つかる。音声を拾い、訳してみる。

 

ここではE-I尺度について。

聞き取れない所が1センテンスあったので飛ばした。内外向比較の例として水滸伝の登場人物を挙げている箇所があるが、私が面白くないので飛ばした。

 

心理学の性格類型論においては、スイスの心理学者であるカール・ユングが打ち出した内向型・外向型の理論が最も重要である。1913年、カール・ユングはドイツのミュンヘン国際精神分析会議で内向型・外向型の性格分析を打ち出した。その後、彼は1921年に発表した心理類型学の本の中で、この2つの性格の分類法につて余すところなく詳述した。カール・ユングの内外向の区分は、幾らか神秘的な色彩を帯びている。これは主に、以前は一貫してフロイトと共にいたことと大きな関係がある。彼の当時の理論に従うと、カール・ユングは、リビドーを得る源の方向に基づいて性格の類型を区分できると考えた。フロイトは1894年にしてリビドーという術語を運用し始めていた。フロイトはリビドーを、人の性の原動力だと定義した。

 

在心理学的性格类型论中,以瑞士心理学家卡尔荣格所提出的内倾型和外倾型的理论最为重要。1913年,卡尔荣格在德国慕尼黑国际精神分析会议上就已提出了内倾型和外倾型型的性格分类。后来他又在1921年发表的心理类型学的一书中充分的阐明了这两种性格的分类的方法。卡尔荣格的内外向的区分带有一些神秘的色彩。这主要和他早年一直和弗洛伊德混在一起有很大的关系。按照他当时的理论,卡尔荣格认为,可以按照获得利比多的来源倾向来划分性格类型。弗洛伊德早在1894年的时候就开始运用利比多这个术语。他把利比多定义为是人身上的一种性的动力。

日本で手に入るMBTI資料は、ユングまで遡って説明しているものは(私の観測範囲では)見かけない。

 

精神分析学では、リビドーは本能、力であり、人の心理現象が起こす駆動力だと考える。このような力は性と緊密に結びついている。フロイトはリビドーを性欲という領域に限定した。カール・ユングは後に、このような汎性論の見解にますます賛同できなくなっていった。そして、カール・ユングは学術上、リビドーを拡大して解釈し、全ての身体器官の快感を指すものとした。

 

精神分析学认为利比多是一种本能,是一种力量,是人的心理现象发生的驱动力。这种力量适合性紧密结合在一起的。弗洛伊德把利比多限定在性的欲望这个领域里面。卡尔荣格后来越来越不能认同这种汎性论的观点。于是,卡尔荣格在学术上把利比多泛化,以代指一切身体器官的快感。

フロイトが何でもかんでも性に結びつけて考えてしまったという、よく言われるエピソード。

汎性論はパンセクシャリズムと言ったほうがかえって分かりやすいか。

 

カール・ユングは人のリビドーの獲得、快感の獲得の源に基づき性格の類型を区分した。個体がリビドーを獲得し、快感を得る活動の多くが、外部環境から来るものであれば、それは外向的性格の人である。個体が快感を獲得する活動の多くが、自身から来るものであれば、それは内向的性格の人である。

 

卡尔荣格根据人获得利比多及获得快感的来源来划分性格类型。个体的获得利比多及获得快感的活动,更多来自外部环境的就是外向性格的人。个体的获得快感的活动,更多来自自身的就是内向性格的人。

ここまでがユングのタイプ論の話。

 

MBTIの理論においては、多かれ少なかれカール・ユングのこのような定義が踏襲されている。MBTIにおいては、外向と内向の区分の定義は、個体が自身を奮い立たせるためのエネルギーの源の傾向性を判断さるものである。個体が外界との接触ややり取りを通じて自身を奮い立たせるエネルギーや原動力を得ることが多いのならば、それは外向的性格の人であり、英語のextrovertで表す。個体が思考、内省、自己対話を通じて、自身を奮い立たせる能力や原動力を得ることが多いのならば、それは内向的性格の人であり、英語のintrovertで表す。いくつか例を上げて比較してみよう。内向の人は外部の条件や環境に対し、縛られているように感じる。外向の人は外部の条件や環境に引きつけられる。

 

在MBTI的理论当中多少沿袭了卡尔荣格的这种定义。在MBTI中,外向和内向的区分定义是衡量个体获得激发自己的能量的来源倾向性。如果个体更多通过和外界的接触和互动来获得激发自己的能量和动力,那么他就是外向性格的人,用英文extrovert表示。如果个体更多通过思考、内省、自我对话来获得激发自己的能量和动力,那么他就是内向性格的人,用英文introvert来表示。我们来看一些例子的比较。内向的人对外部的条件和环境感到拘束。而外向的人对外部的条件和环境感到吸引。

MBTIではリビドーという言葉は使われず、「エネルギー」と言われる。

「エネルギー」は快感とは無関係の様子。快感が「リビドー」なら、「エネルギー」は力である。

 

ここでは、内向の人は話したがらず、外向の人は人と話すのを好むというように単純に解釈してはならない。正確に言うと、内向の人は見慣れない環境に対し、縛られ、制限されたように感じるため、内向の人は社交的活動を自発的に起こすことはない。しかし外向の人にとっては、あらゆる環境はやり取りを起こす上での媒体である。彼らはいささかも苦労せずに人と交流する。

 

这一条不能单纯解释为是内向的人不爱说话,而外向的人喜欢和人说话。准确的说,因为内向的人对陌生的环境感到拘束和限制,所以内向的人不会主动的发起社交的活动。内向的人更喜欢在自己熟悉的环境中,在一个相对有界限的范围内主动和人发起互动和交流。但是对于外向的人来说,任何环境对于他而言就是一个发起互动的载体。他们会毫不费力的去和人产生交流。

社交性に結びつけられた説明だが、内外向の違いの例として適切なのだろうか?しかもI型は社交的活動を自発的に起こす「ことはない(不会)」と言い切ってしまっている。

 

昔からの同級生と集まる時、細かく観察してみると良い。外向と定義した同級生は早熟型であり、最初から最後まで人に囲まれている。内向と定義した同級生は、親しくなるのに時間を必要とする。互いに自己紹介し合い、体験を追憶し、そうして初めて徐々に役柄に入れる。最後には収集がつかず、酔ったようになるのは往々にして内向の同級生である。

 

大家如果有老同学聚会的时候,不妨仔细观察一下。那些你们定义为外向的同学,他们是速热型。从头到尾都是人来疯。那些你们定义是内向的同学,他们需要熟悉一段时间,互相介绍一番,体验回味一番,才能够慢慢进入角色。最后一发不可收拾,估计喝了醉的往往是那些内向的同学。

社交的なI型はいるが、それでも人や環境と親しくなるのに時間がかかるのだろう。

 

内向の人は考えてから行動するかもしれない。外向の人は行動してから考えるかもしれない。これ内向の人と外向の人の違いが比較的明確な点である。我々は普通、「内向の人は比較的よく考え、比較深く考える」と言う。彼らは計画してか実行、熟考してから行動したいと思うことが多い。外向の人は相対的にずっと開放的である。彼らは天性の行動派である。

 

内向的人会先想,然后可能会做。而外向的人先做,然后可能会想。这是内向的人和外向的人差别比较明显的地方。我们一般都会说内向的人想的会比较多一些,会比较深一些。他们更愿意谋定而后动,三思而后行。外向的人相对来说就开放不少,他们是天生的行动派。

外向の心理機能は、いざない原語では"action-oriented"と言われているのに合致する。ステレオタイプでは議論を好むNeもやはりaction-oriented。

 

内向の人のエネルギーは自身の慣れた領域で蓄積するものである。慣れない環境や慣れない人との交流・接触により、エネルギーが消耗する。従って、彼らは時間を置いて自身に"断食"と"修復"を行う必要がある。しかし、もしあなたが外向の人を家に閉じ込めたならば、それはその人を苦しめることになる。彼らは電話が鳴り響いたり、宅配便の配達がやってきたりしても、ひとしきり話し込むことができるだろう。

外向の人は内向の人を人間嫌いだと思うかもしれない。一方、内向の人も外向の人を皮相的だと思うかもしれない。私は内向の人だと自身を定義しているが、外向の人を終始一貫して崇拝の気持ちを抱いて見ている。なぜなら外向の人は、人が(そうする)勇気のないこと――特に値段交渉や列への割り込みといったこと――をやる勇気があるからである。私のような内向の人にこのようなことをさせようとしても、全くのところ天に上るより難しい。

 

内向的人的能量是在自己熟悉的领域里面积累的。而陌生的环境和陌生的人的交流和接触,会损耗他们的能量。所以他们需要留出时间给自己去辟谷,去修复。但是如果你把外向的人关在家里,那就苦了他了,他们估计会把电话打爆连送快递的过来都能扯上一阵子。

外向的人可能觉得内向的人孤僻。而内向的人却也会觉得外向的人肤浅。我自己把自己定义是内向的人,但是我看外向的人始终抱着崇拜的心理。因为那些外向的人,他们敢为人所不敢,尤其是像那些讨价还价、插队加塞的事情。如果让我这个内向的人去做这些事情,简直是比登天还难。

I型にとっての「慣れた環境」は、自分の内部という扱いのようだ。

ところで「列への割り込み」のくだりは……日本とのお国柄の違いか?

 

外向の人も内向の人の強みを徐々に認めるだろう。内向の人が危険を顧みず、予測不可能で、虚勢を張る能力があることもあるのだ。

MBTIの理論において、内外向は排他的というわけではない。MBTIの理論では、「我々は通常、外向型・内向型の事柄をいずれも行うが、同じように思い通りにり、自然で快適にできることはない。我々はいずれも、一つの傾向を持つ」と考える。傾向を選択する際は、最もストレスなく最もリラックスしている環境でどちらの傾向を選ぶか振り返るべきである。内外向の行為のパフォーマンスが拮抗し、区分できないと思うのならば、一般的には内向的性格を選べば良い。

 

外向的人也会逐渐赏识内向的人的优势。内向的人也可以有不顾自危、深不可测、虚张声势的本事啊。
在MBTI的理论当中,内外向之间并不是排他的。MBTI的理论认为,我们通常都会做外向型的,以及内向型的事情。但是我们并不会做的同样的得心应手、自然惬意。通常来说,我们都会对某一种有所倾向。在选择倾向的时候,应该去回想,你最没有压力,最轻松自在的环境下,你会选择哪个倾向。如果你觉得你内外向的行为表现势均力敌,无法区分的话,那么一般你可以选择你是内向性格的人。

迷ったらI型を選べというのは、社会適応のためにE的行動をすることが多いからである。

 

<出典>

第三讲:MBTI的内向与外向维度-【应用心理学】美国MBTI性格测评与分析-蜻蜓FM听教育

https://www-pre.qingting.fm/channels/194864/programs/5879587

(2022年7月28日アクセス)